腹立ちのあとで

2025年11月03日 20:00

【投稿 : いな 】

ある記事に、全集第5巻273ページの一節が紹介されていました。

【腹の立つ時どうすれば腹がやわらぐか】より抜粋

森田先生 
『八間君が腹が立って、三、四時間も経て、まだ胸の中が熱いような感じがするという。これはいたずらに、自分の腹立ちの気分に執着し自分は腹が立たなければ、楽であろうに、なんとかしてこの苦しみがなくなればよいのにとか、その事ばかりに、心を集中するから、いつまでも忘れられない。ただ腹に立つままに、しかたなしに放任しておけば、自然に我々は「心は万境に随って転ず」という風に、いつのまにか、他の事柄に、心が紛れて、じきに忘れてしまうはずである。これが自然の心である。神経質の自己中心的の執着がある間は、この自然の心はできないのである』
(第5巻 273ページ)

この一節を読んで、「腹の立つままに放任しておけば自然におさまる」という言葉が、心に深く残りました。思えば私も、以前は腹立ちや悔しさを何とかしようとし、かえって苦しくなっていたものです。

今でもそういうところはありますが、少しずつ受けとめられるようになってきました。

そして、その根っこには、「強情さ」「自己欺瞞(じこぎまん)」「自己中心性」といった性質があって、自分としても受け入れがたく、とても苦しみました。

“この性格は一生治らないんじゃないか”と思うほど、長いトンネルの中を歩いている気がしていました。けれども、「神経質は治すものではなく、ただそのまま認めればよい」と知ったとき、心から救われた思いがしました。まさに、これが「自覚」ということなのですね。

いろんな場面で、皆さんの心の言葉を聞かせていただくたびに、私もまた自分の気づきが少しずつ深まっていくのを感じます。本当に、いつもありがとうございます。

※ちなみに、「自己欺瞞(じこぎまん)」とは、
“自分の中の本当の気持ち”や“現実の事実”を見ないようにしたり、別の理屈で正当化して、自分で自分を誤魔化してしまう心の働きのことです。

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