上手く行って、安心したい

2025年10月10日 10:50

【投稿 : いな 】

ある記事に、森田正馬全集第5巻266~267ページの一節が紹介されていました。ここを読んで、自分と重なったところを紹介します。

【強情と盲従の標本】より抜粋(強情のところのみ)

森田先生 『大西君は、今月の会で、強情の標本です。家へ帰って、父に叱られて、決心したというが、我々は戦争に行くにも、論文を書くにも、少しも決心するにおよばない。決心という事が、余計な心の葛藤になる。決心しないで、その境遇に服従して、ただ戦争にでかけるなり、論文の筆をとりさえすればよい。

大西君は、まず決心する前に、戦争に行きたい・論文を書きたいという気持ちを作ってしかる後に、決心しようとするのが間違いであり、論文を書く気になるまで手を下さないといって、その感情を頑張ろうとするのが、強情というものであります。』
(第5巻266~267ページ)


ここは、自分とまったく同じでした。思わず感心してしまうほどです。
私は仕事に取りかかる前に、まず進め方、いわゆる方法をはっきりさせてから現場に向かいたいタイプです。どうしても方法論にこだわってしまいます。

 なぜそうなるのか考えてみると、それは「上手くいくことを事前に知って安心したい」という、いわゆる“はからい”からでした。けれども、計画通りにうまくいくことはほとんどありません。うまくいかなかった自分に落ち込み、今度こそ計画通りに行こうと考える。…その繰り返しです。でも実際は気分を待っていることが多いです。

 そして、気分を待っている最中に「どのくらいかかりそうですか」と急かされると、つい「まだ方法を考えています」と強情を張って、どのくらいかかるかとの約束も回避しようとします。

「上手く行って、安心したい」――それ自体は自然な気持ちなんだろーなとは思います。でも、あれこれ考えても、結局なにも進まなくなる。境遇に素直に応じられない、これが自分の“強情”なんだろうなと思います。

方法をきっちり整えるより、まずはやってみる。動いてみる。
そのほうがよっぽど境遇に柔順になる事なのでしょうか。

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